かまめし会

白馬南小 「 かまめし会 」 の歴史

かまめし会の意義についての指導にあたり、諸文献や文集「かみしろ」等の記述からその歴史についてひろってみました。不明な所も多いのですが、ご参考までに。

昭和8年 『9月1日 関東大震災十周年記念日 全校昼食塩握飯(しおにぎりめし)』と記述あり

職員室廊下の写真にも昭和8年とあり当時のものか(「神城学校百年のあゆみ」より)

※以降、昭和60年近くまで「かまめし会」と思われる特別な活動の記録は特に見当たらない。

昭和36年 「文集かみしろ」 5年 矢口貴子さんの作文「かまめし」

日曜日に友だち数人とかまめしをしたという内容。休みの日の個人的な活動の様子。

昭和50年 「文集かみしろ」 5年 4名の作文に「かまめし会」という題

佐野坂スキー場あたりでかまめし会をしたという内容。そのうち下川浩紀さんの作文の終末に「5年生は遠足がないかわりにこういうたのしいかまめし会ができた」と記述がある。学年での行事として特別にかまめし会を行ったようだ。

昭和56年 「文集かみしろ」 4年 3名の作文に「かまめし会」という題

平林克浩さんの作文に「きょうは学級会で決めた親子遠足の日だ」「飯森のげんたろうダムの少し下の広い所まで歩いて行った」「カレーをグループごとにつくった」と記述あり。

学級行事の親子遠足の中でかまめし会を実施した様子。

昭和60年 「文集かみしろ」 3年 篠崎芳幸さんの作文

「今日はわはらグランドでかまめし会だから学校から出ぱつして上原グランドに行きました。」「鉄のぼうにはんごうをつるして」「カレーの中に入れる物を切ったりしました」「ごろう先生(相沢五郎先生)に見てもらったら『よしいいぞ』って言いました。」等の記述あり。

昭和60年 「文集かみしろ」 5年 中村ちあきさんの作文

楽しみにしていたかまめし会。青の2班は、カレーとサラダとフルーツだった。」「来年は六年生、しっかりやりたい。」と記述あり。

全校児童が現在と同じように、たてわり班でかまめし会を行ったのはこのあたりからだと思われる。昭和60年からだとすると令和3年で33年目ということになる。

昭和61年 「白馬新聞」6月27日記事

去る20日には、児童会が主催して、全校生徒による“かまめし会”で楽しいひとときを過ごした。これは「じぶんたちの手で食事をつくり、味わう喜びと縦割りグループによる協力で、その楽しさを体験」する目的で毎年行う伝統行事の一つ』と記述。

学校長より

本校の関係の方にお話を聞いたり、上記のような資料を開いたりすると、「かまめし会」が現在のような形になったのは昭和の終盤60年前後のことかと思われます。歴史としては30年少しという所でしょうか。

それ以前は昭和8年の記録のようにいろいろな形で学級や学年の行事として単発的に行われていた様子です。

いずれにしても子どもたちが楽しみにしている行事として現在に至っており、コロナや食物アレルギーといった現代の課題について十分配慮しながら実施できれば、子どもたちの南小時代における一つの思い出になることと思います。

学校長  吉沢 一夫

火の番の係の様子
食材を切る係の様子
火の番の係の様子
食材を切る係の様子
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